世界中の人たちが憧れたアクションスターで武道家ブルース・リー

本日は世界中の多くの人があこがれた強いキャラクターブルース・リーについて書いてみた。

本記事を読むことで、ブルース・リーの略歴と主演作品を短時間で知ることが出来る。
また、わたしの所持している映画宣材を掲載する。

 

ブルース・リー

1940年11月27日サンフランシスコ生まれ。
広東オペラ歌手の息子として生まれる。

1年後、一家は香港の九龍に戻る。
5歳の頃から子役としてマイナーな映画に出演するようになる。

正式な武道を学ぶのはイップ・マン(ドニー・イェン主演で映画にもなっている)の元で5年間詠春拳の修業する。

また、チャチャダンスも得意で18歳で香港のメジャーダンス大会で優勝する。

しかし、喧嘩っ早いリーは香港警察とトラブルを何度も起こし、両親はアメリカへ行くことを彼に提案し、1959年にサンフランシスコのチャイナタウンへ行くことになる。

レストランで働きながら、シアトルの大学で哲学を学びならがら格闘技の練習を続けることとなる。

多種の武術から学んだことと人生哲学も含めた截拳道(ジークンドー)を自らあみだす。

1963年に妻となるリンダと出会い、カンフースクールを設立する。

拠点をロサンゼルスに映しカンフースクールの支部を設立していく。

その後、グリーンホーネット(1966-1967)のカトー役としてTVシリーズに出演するようになる。

やがて、ゴールデンハーベストの映画製作を始めたレイモンド・チョウと出会いドラゴン危機一発(1971)を撮り香港で大ヒットする。

その後、ドラゴン怒りの鉄拳や、自身監督作のドラゴンへの道で主演。

そして、ワーナーブラザーズ配給の世界的ヒット作「燃えよドラゴン」を撮影し世界的なアクション俳優となる。

直に学んだ弟子としてジェームズ・コバーン、スティーブ・マックイーン、チャック・ノリス、ロマン・ポランスキーなどがいる。また、「死亡遊戯」の巨人ジャッバーことカリーム・アブドゥルも弟子である。

1973年7月20日32歳で亡くなった。

主演作品

 

ドラゴン危機一発(1971)
ドラゴン怒りの鉄拳(1972)
ドラゴンへの道(1972)
燃えよドラゴン(1973)
死亡遊戯(1978)グリーンホーネット(1966-1967):TVシリーズ
↓パンフレット

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↓フライヤー

↓パンフレット

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ブルース・リー関連おすすめ映画

シンデレラ・ボーイ(1985)

ひ弱な高校生がリー師父の亡霊に鍛えられラストに空手の試合で強敵(ジャン・クロード・ヴァンダム!)と対決する。大好きな映画である。

イップマン・シリーズ

過去記事にまとめているが、ドニー・イェン主演。ブルースリーの師匠イップマンを描いた作品。
全四作。これはカンフー映画としても人生の映画としても素晴らしい作品である。

最後に

わたしはが最初にブルース・リーを知ったのは、私が劇場で見た最初の洋画でせがんで父親に連れて行ってもらった「死亡遊戯」である。

当初は既に亡くなっていて、ボディダブルがかなりのシーンに出演していることも知らずに夢中になって見た。
特に最後の塔を登っていくと次々と強敵が現れるシーンは思い出深く、亡き父との良い思い出にもなった。

ブルース・リーは
Don’t Think, Feel(考えるな、感じろ)
Be water(水になれ:水のように形をかえつつ流れ、強く打つこともできる)
といった名言を残している。

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