「ローズマリーの赤ちゃん」「戦場のピアニスト」ポーランドの映画監督、プロデューサー、作家、俳優であるロマン・ポランスキー

今日は「ローズマリーの赤ちゃん」「戦場のピアニスト」ポーランドの映画監督、プロデューサー、作家、俳優であるロマン・ポランスキーの作品について映画宣材などで紹介する。
調べてみると、彼の人生そのものが映画のような波乱万丈の人生であった。

ロマン・ポランスキー

1993年8月18日フランスのパリで生まれる。

第二次大戦がはじまる前に両親はポーランドに移住する。
ユダヤ人だった彼の両親はドイツの侵攻で捕まり、それぞれ別の収容所へ入れられる。

母親はアウシュビッツへ送られ殺されてしまう。

わずか7歳でゲットーから逃げ延びたポランスキーは、納屋や森へ隠れて、盗んだり食べれるものを見つけて生き延びた。

戦後、父親と再会。ポランスキーはすでに演技の道にすすむことを決めていた。

1950年ごろ演技を始め、アンジェイ・ワイダの作品などに出演する。

ポーランドで「水の中のナイフ(1962)」を監督する。ポーランド映画界では著名な監督となったが、フランスのパリに移住した。

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そのときに知りあった脚本家のジェラール・ブッシュは長年の協力者となる。

「反撥(1965)」「袋小路(1966)」はイギリスで製作され、ベルリン国際映画祭で賞を受賞した。

1968年、ハリウッドに行き「ローズマリーの赤ちゃん(1968)」を監督する。

しかし、1969年カルト教団であるマンソンファミリーに妊婦だった女優シャロン・テートを殺されることになり、ヨーロッパに戻ることを決意する。

1974年に再びアメリカ映画を撮ることとなり、これが「チャイナタウン(1974)」であった。

しかしジャック・ニコルソン邸での13歳の少女モデルへの淫行容疑でつかまったが保釈となり、その間にアメリカから逃亡し、ロンドン、パリへと移住する。

2009年チューリッヒ映画祭の受賞のためスイスに滞在中、前述の件でスイス司法当局に身柄を拘束されるが、アメリカの身柄引き渡し要求にスイスは応じず、釈放される。

フランスで撮影したのがナスターシャ・キンスキー主演の「テス(1979)」である。

その後、ヨーロッパを拠点に「フランティック」「赤い航路」「ナインスゲート」などを撮影。

ナインスゲートのパンフレット。ぱっと見地味なデザイン!

2002年には「戦場のピアニスト」でカンヌ映画祭のパルムドールとアカデミー監督賞を受賞する。

主な作品

水の中のナイフ(1962)
反撥(1965)
袋小路(1966)
吸血鬼(1967)
ローズマリーの赤ちゃん(1968)
マクベス(1971)
ポランスキーの 欲望の館(1972)
チャイナタウン(1974)
テナント/恐怖を借りた男(1976)
テス(1979)
ポランスキーの パイレーツ(1986)
フランティック(1988)
赤い航路(1992)
死と処女(1994)
ナインスゲート(1999)
戦場のピアニスト(2002)[12]
オリバー・ツイスト(2005)
ゴーストライター(2010)
毛皮のヴィーナス(2013)
告白小説、その結末(2017)
など

ポランスキーとシャロン・テートが共演した「吸血鬼」のパンフレット

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最後に

両親のナチスの強制収容所に収監され、ゲットーから脱出して生き延びた。その後、アメリカに渡るも妻はカルト教団に殺され、アメリカからヨーロッパへの逃亡などポランスキーの人生だけで壮大な一本の映画ができそうなストーリィである。

 

わたしがポランスキー作品で好きな作品は若くて美しいカトリーヌ・ドヌーブが男性恐怖症から狂気を演じるモノクロ作品「反撥」、ミア・ファロー演じるローズマリーが悪魔の子を産むように仕組まれる「ローズマリーの赤ちゃん」である。

あとは「テス」のナスターシャ・キンスキーが美しい!

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